2月の初旬に熊野古道・小辺路を2泊3日でスルーハイクしてきました。
まず、熊野古道について。
巡礼路で世界遺産に登録されているものは、2つしかありません。
1つはスペイン・フランスのサンティアゴ巡礼路、もう1つが日本の熊野古道です。
アメリカの PCT・CDT・AT のような National Scenic Trails に属するものは、風景を楽しむことを主眼において作られたトレイルです。
日本の信越トレイルも、そういったアメリカの National Scenic Trails にならって作られています。
一方で、宗教や文化に紐づいたトレイルは、世界を見ても数が相当に少ないのが実情です。
自分は、以前から熊野古道に興味があって、まとまった時間がとれたら、いつか歩きたいと思っていました。
その理由は、商人(起業家)が歩いた道であること、日本の山岳信仰にルーツを持っていること、そして世界遺産であること。
歩いて、寝て、食べて、世界遺産の中で「生活できる」機会は本当に貴重かと思います。
熊野古道には2つの側面があります。
いわゆるゴール地点とされる熊野本宮を目指して、巡礼者が各地から歩くための道であるという側面。
もう1つは、熊野本宮周辺や紀伊半島の南で仕入れた商材を、高野山で売るための商人の道であるという側面。
今回歩いた小辺路ルートは、まさに後者の目的で作られた道で、熊野本宮と高野山を最短ルートで繋いでいます。
昔は、株式会社といった組織に所属するサラリーマンなどという職業は存在しておらず、ほとんどの商人は Self Employed(自営業)、つまり起業家だったと思われます。
彼らがどんな商材を仕入れて、どこで休憩をとりながら、どのような人たちと交流して、高野山まで商材を運んだのか。
そういった思いを馳せながら、トレイルを歩いてみました。
それでは、今回の旅の記録です。
1日目
京都から極楽橋駅まで電車で移動して、そこから先はケーブルカーで高野山を目指す。
午前9時に高野山に到着。1時間ほど街を散策。
標高800mの位置に作られた宗教都市、そんな表現がぴったりな雰囲気。
1,000年以上も前に、空海がこの地に僧侶のための道場を作り、それが聖地になった。
標高がそれなりにあるためか、地面には雪が残っていて、氷も張っている。
熊野本宮から歩いてきた商人たちにとっては、高野山がゴールとなる。
轆轤峠(ろくろとうげ)は、始めて高野山を訪れる商人たちが、ここから首を長くして街の風景を見たことから名付けられたとのこと。
小辺路には、こういった歴史を綴るものが沢山あって、歩いていると、その時代にタイムスリップしたかのような感覚を覚えることがあります。
途中の東屋で休憩。
雨が降っている時などは、屋根がある東屋の存在はありがたい。
時々見かける、このサイン。
World Heritage(世界遺産)を今まさに歩いているのだと、改めて気付かされる。
一度里に降りて、伯母子岳を目指す。
小辺路は、伯母子岳を含む1,000m級の山を3つ越えないといけないので、それなりに体力が必要。
本日の宿泊地の萱小屋跡に到着。
この時点での時刻は午後4時半。
本当は、もう少し先の伯母子岳にある山小屋で宿泊する予定だったけれど、だいぶ日も落ちてきたので、ここを宿泊地とする。
この小屋は、熊野古道を歩く人のために行政が作ったものではなく、あくまで個人の持ち物。
なので、正確には泊まらせて頂く、もしくはお邪魔させて頂くという表現が正しい。
お邪魔します。
さっそく夕飯の準備。
アルストでお湯を沸かす。使った燃料は30ml程度。
嫁が作ってくれたトレイルフード。
ホワイトソースと乾燥野菜をミックスした粉末を、焼き米に入れて、お湯をかけて3分待つだけ。
白米をアルファ化したものではなく、玄米なので、栄養もある。そして、美味い。
まだギリギリ外が明るかったので、小屋の外に座って夕飯を食べる。
コージーに入れておくと冷めにくく、最後まで温かい食事が頂けました。
ちなみに、行動中はコージーにモバイルバッテリーなどを入れて、外気でバッテリーが冷えないようにしています。
明日は30kmほど歩く予定なので、早めに就寝。
小屋といっても、結局は外気と同じ気温になるので、寒さ対策は必要。
夜中に手元の温度計を見たら、-5〜-6度くらいでした。
2日目
翌日は午前4時に起床。
昨晩のお礼ということで、ほんの気持ちながら寄付。
みなさんも、ここに宿泊したら、ちゃんと寄付しましょう。
準備を済ませて午前5時に小屋を出発。
あたりはまだ暗く、ヘッドライトをつけながら雪道を歩く。
持参したチェーンスパイクは、まだ必要なさそう。
山での時間で好きな時間帯、マジックアワー。
獣の世界から、人間の世界に戻る瞬間。
うっすらと朝焼けに照らされる雪道を歩く。
あの世とこの世の間をうろついているような雰囲気。
ずっとこの時間が続いて欲しい、とすら思ってしまう。
当初の宿泊予定地だった、伯母子岳の山小屋に到着。
時刻は午前7時半。
ここでようやく朝食。
朝食は、いつも歩き始めてからと決めている。
クッカーは使用せず、フルグラをそのまま食べる。
伯母子岳の山頂を経て、上西家跡へ。
旅籠(はたご)とは、要するに宿のこと。
説明書きにある通り、こんな所まで商人が馬を引いて来ていたのかと思うと、心の底から驚く。
起業家魂、凄い。
分岐があるごとに、こういった看板があるのはありがたい。
これなら地図読みが得意でない人でも、道に迷わなさそう。
ちゃんと英語で「NOT KUMANOKODO」と書いているところも、素晴らしい。
ここで反対側から来る方とすれ違う。
聞くと、ボランティアで熊野古道を整備されているとのことで、足場が悪くなっているところに木道を作るそう。
こういった方々のおかげで、道が歩きやすくなっていることを忘れてはいけない。
丁重に感謝の言葉を伝えて、お別れする。
里に降りたところで柑橘系の植物を発見。
ここが紀伊半島であることを、改めて認識させられる風景。
この橋を渡ると、三浦峠に入る。
先ほど1,344mの伯母子岳を越えたばかりだけど、もう1つ1,000m級の山を越えなければいけない。
小辺路で見ることができる、有名な大木。
実際に見てみると、なんとも表現し難い、とてつもなく強い生命力が感じられる。
このすぐ近くに、昔はお茶屋さんがあったということなので、かつての人々もこの大木を見ながら休憩したのだろう。
崩れてしまった斜面には、ちゃんと木道が敷かれている。
世界遺産を維持するのも、大変なんだなと思いながら、道に落ちているゴミを拾ったりして、自分なりにできることは歩きながら、やる。
小辺路の大部分は森歩きながら、時々こういった景色を見ることができる。
見渡す限り、山。そして、山。
午後3時半に十津川に出る。
歩き始めて10時間ちょっと。
ここから2時間くらいのロード歩きがある。
熊野古道を歩く人向けに解放されているコミュニティスペース。
パンフレットや無料のキャンディーなどが配布されていました。
あいにく人には会えませんでしたが、ゴールデンウィークなどは人が多そう。
本日の宿、太陽の湯に到着。
テント泊にしようか最後まで迷ったものの、せっかく十津川に来たのだから温泉に入ろうということで、歩きながら電話で素泊まりの予約を入れる。
温泉は、源泉掛け流しで24時間入り放題。こういう臨機応変なところも、歩き旅の醍醐味。
結局、この日は、12時間半かけて32.5kmほど歩きました。
明日はさらに早起きなので、持ってきたトレイルフードを食べて、早めに就寝。
3日目
翌日は午前2時に起床。
準備をして午前3時に宿を出る。
果無峠の入り口に着いても、当然ながら周りは真っ暗。
ヘッドライトをつけて、ナイトハイクを続ける。
昔は夜に一人で山を歩くのは怖かったし、ヘッドライトの光量も最大にしていました。
今はもう慣れてしまい、ヘッドライトの光量も最低限の40ルーメンで十分に歩けるようになった。
暗い中でも、熊野古道の生い立ちにはしっかりと目を通す。
面白い、実に面白い。
と、深夜に看板の前でヘッドライトをつけながら「うんうん」と頷いているハイカーの姿は、さぞ怪しく見えたことでしょう。
果無山の登り途中でようやく空が明るくなってきた。
この時の時刻は午前7時。
すでに歩き始めて4時間が経つ。
十津川と熊野本宮の間には、このような観音石仏が33体あります。
途中で気づいたのですが、この石仏、1体1体、違う形や顔をしているようです。
この33という数字は、いわずもがな西国三十三所の巡礼旅に由来。
午前8時半、和歌山県の本宮町が見える展望場に到着。
ようやくゴールの熊野本宮に近づいてきた。
ここで朝ごはん。
フルグラは行動食にもなる上に、栄養バランスも良く、そして軽い。
トレイルフードに、間違いなく向いている。
本宮町に出たところ。
ここで熊野古道・小辺路の山歩きは一旦終了。
3日間に渡る旅がもうすぐ終わるのかと思うと、ちょっと寂しい。
町を歩いてしばらくすると、熊野古道のルートの1つである中辺路との合流地点に差し掛かる。
自分の装備を見てか、「もしかて、高野山から歩いて来られたのですか?」と声をかけられる。
3日かけて、最初は雪道を歩いてきた、と言うと心底驚かれた様子でした。
みなさん、ここから歩いて熊野本宮に行かれる方が多いようです。
ここからは、もの凄く整備された道を歩く。
これまで越えてきた1,000級の山に比べれば、裏庭を散歩するような感覚。
なんだか、熊野の神様に「最後にもうちょっとだけ、山歩きたいんでしょ?」と見透かされているような気もする。
熊野本宮といえば、日本最大の大鳥居。
これを見て、ついに今回の旅が終わったと実感。
合計時間28時間、距離66.7km、獲得標高4,606mの歩き旅、お疲れ様でした。
歩き終えての感想
冒頭に書いた通り、自分は今回の旅を「商人が作った道をたどる」という視点で見ていました。
はるか昔の商人、起業家が、何を思い、何を考え、どうやって生計を立てていたのか。
そんな視点を持って歩くハイカーは少ないと思いますが、いざ歩き終えてみると、熊野古道・小辺路は商売の基本を教えてくれたような気がします。
商売の基本とは、1)物を仕入れる、2)高く買ってくれそうな人を見つける、3)その人の所に届ける、以上。
至ってシンプルですが、熊野古道・小辺路は、まさにそれを体現しています。
買い手が70km離れた町にいるならば、最短で繋ぐルートを作って、そこを歩けばよい。
道の途中にたくさんあったお茶屋さんや旅籠(はたご)は、そういった商人を支えるインフラであり、商人がいたことで、途中の集落が栄えていたのだと理解できました。
ということで、自分は熊野古道・小辺路を、勝手に「起業家の道」と呼びたいと思います。
商売人のみなさん、起業家のみなさん、ぜひ、起業家の道を歩いてみてください。
きっと何か気づきがあるはずです。
次回は、熊野古道のルートの1つである中辺路を歩いてみたいと思います。
海外であれば、スペイン・フランスのサンティアゴ巡礼路かな。
YAMAP の記録は こちら 。
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